非常識であることと、自分勝手に行動して他人の迷惑を考えないということは別の話です。自分勝手な人は、他人から嫌われることが多くあります。並んでいる順番を無視して電車に乗ったり、そのへんにごみをポイ捨てしたり、禁煙席で喫煙したり、映画館でカップラーメンを食べたり、公共の場所で立ちションしたりもします。自分勝手な言動が目立つ人は、組織のルールに従わないことも多く、集合時間に遅れたりや無断で欠勤したり、他者の迷惑にならないように決まりを守るという意識が低い傾向にあるのも事実です。そもそも、一般常識が欠けているから身勝手になっているのか、視野が狭くて他人の気持ちなど考えられないのか、精神疾患を患っていて他人の気持ちを想像することができないのか、原因は人それぞれでしょう。「そういうつもりではなかった」と言い訳する人もいますが、それこそが自分勝手である証拠です。酔っぱらって誰かを車で引き殺してしまった後に、殺すつもりはなかったと言い訳しても許してもらえるはずもありません。反省する気持ちすら見えない人が増えていますが、明らかにその人は病気です。病院に行ってもらいましょう。
でも、間違えていけないのは、非常識であるということは決して悪いことではないということです。非常識だから他人に迷惑をかけるのではなくて、その人に協調性がなくて、他人の気持ちを考えることができないのか、他人の立場で考えないから迷惑をかけていることにさえ気づいていないのか、どちらにしろ他人に嫌な思いをさせているから嫌われるのです。ですから、決して非常識が悪いということではありません。非常識であるということは、その他大勢の一般的な価値基準とは違っているということであって、それは個性的であるということです。図で考えるなら、非常識というの大きな円の一部に、協調性がない小さな円があったり、自分本位で他人の立場を考えないという小さな円があったりするのです。個性を非常識と解釈して変わっていることがまるでタブーであるかのように避難する日本社会の習慣が、同調圧力を増大させ、イエスマンを増やし、没個性を生み出し、多様性をなくし、国際競争力を弱めています。非常識だからこそ斬新なアイデアが生み出せるのであって、外国人がどんどん日本に移り住み、多種多様な価値観があふれている現代の日本は、島国根性が成立するわけはありません。周りに合わせて均一化されたスタイルで安心していることは視野を狭めたり、自分の頭で考えないという習慣を身に着ける結果となります。常識の範囲の中に埋もれていれば安心だから、周りと同じことしかしたくないと考える人は、他人から注目される機会も少ないものです。これではスタートアップの経営者としてやっていくことはできません。言い換えれば、「常識的である」ということは、「平凡」であって、「特別ここという優れた点もなく、並であって取るに足らない」という意味を含み、「非常識」というのは「非凡であって普通より優れている」という意味を含んでいます。
ただ、社会の中では、平均化した価値観を求められる場所もあるわけで、そういった環境下では敢えて個性を消すタイミングもあるということは理解しなければなりません。つまり、個性も没個性も時と場所を選ばなければならないわけで、そういった意味では、世の中の平均的な価値観も理解しつつ、他人に迷惑をかけない範囲で個性を表現することが求められているわけです。社会性とは社会的な規範を身に着けて同じ価値観を共有することです。社会性を兼ね備えた非常識な人間になることができたら最高です。どんどん個性を発揮してください。注意することはひとつ。相手の立場に立って、相手の気持ちを考えて行動すればいいだけです。そういった意味で非常識を目指しましょう。もっと面白い世の中になります。面白い人生を送ることができます。
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