人生に嫌気がさすこともあります。何をやってもうまくいかなかったり、誰も自分のことを認めてくれなかったりする時があります。・・・誰も知らない違う世界へ逃げ出したくなったり、世界が終わってしまえばいいと思ったり、どいつもこいつも気に食わねえと感じたり、誰もわかってくれないと孤独にさいなまれたり、全部ぶち壊したいと思ったり、むしゃくしゃすることばかりでイライラしたり、とめどなく流れ出る涙をとめることができなかったり、つぶれそうな自分に誰も手を差し伸べてくれないことを恨んで、すべてに投げやりになってみたり、・・・・でも、ふと、なんとなく心の底で他人に期待していた自分に気が付きました。認めてほしいとか、気にかけてほしいとか、褒めてほしいとか・・・・今思えば、「人はわかり合えるはずという錯覚」に長い間淡い期待をもち続けていたのだと思います。松の木はどんなに逆立ちしても松の木です。竹は竹としてしか生きられません。人は目がふたつで鼻が一つで口が一つであることは同じでも、元来みんな違う生き物なのです。
「人はわかり合えるはずだ」と思えば、わかり合えないことが寂しく感じられますが、「わかり合えないのが普通だ」と考えていれば、わかり合えた時がひとしおに嬉しく感じられるものです。「人間はわからないから、おもしろい」「すべてはわからないけれど、少しでもわかりたい」という思いが互いに歩み寄りを縮めていくものです。
元来、人間とは孤独なものなのです。この世に生まれて死ぬまで、それぞれがたったひとりで人生を歩いています。家族、友人、恋人、仲間など、他人と寄り添ったり、協力しあうことはあっても、同じ線上で一生を過ごすことなどありません。
自分の考えに素直に行動しようとすると、たいてい横やりが入ったり、衝突や軋轢が生じることが多くあります。「人はわかり合えるはずだ」と思っていると、互いに議論したり、ケンカ別れしたりするものです。自分の考えで突き進むのなら、人との別れは躊躇することなく受け入れるしかありませんし、人との歩み寄りを手放したくないのなら、自分の考えを妥協して他人と折り合いをつけるしかありません。多くの人が、この狭間で悩み苦しみもがきます。答えはありません。答えはあなた自身の中にきっとあるはずです。
ただ、孤独を受け入れて「人はそれぞれ違う生き物で、本来は分かり合えないものである」という考えにたどり着ければ、「孤独=寂しさ」ではなくなります。むしろ「孤独=自由」という考え方ができることで、より人生を楽しむことができるようになります。
|